水のようにいきる

流れるように生きていきたいひとです

顔を見つめて思うこと

たまに観ている観相学の動画

昨夜もなにげなくぼーっと見ていました

顔の相にその人の考え方・生き方が現れるという考え方

つくづく面白いなぁと思います

 

スピリチュアル的なものを信じる・信じないは人それぞれだと思いますが

私は過去の経験上、確かにあるものだと信じていて

特に相というのは毎日重ねる習慣が生理的に体の特徴となって表れたもの

そう考えれば、特段ありえないことでもないと思ってゐます

 

笑顔が顔にしみついていれば目じりが下がり口角の皺がきざまれるでしょう

歯を食いしばれば顎周りの筋肉が凝りをつくるでしょう

相の特徴を勉強したわけではないので憶測にすぎませんが

論理的に推測すれば自然な摂理かと思います

 

 

もう34歳

30代半ばにさしかかっていますが

 

果たして自分は自分を生かせているのか?

生を受けて親から授かったものを磨けているのだろうか?

 

自分を見つめるとき、常々思います

 

 

人生一度きりなので

自分自身を労わり全うすること

授かったものを磨いてそれを還元すること

それが目標です

 

できればお母さんが生きているうちに

元気なうちに

 

 

人生が有限だと知り意識するきっかけになったのは

幼い頃に読んだマンガと

そして20代に直面した親の死だったと思います

 

 

 

まずはフルーツバスケットというマンガ

主人公は親思いの女子高生なのですが

普段から仲良し親子なのに、ある朝珍しく喧嘩をしてしまうんですね

しかもその日に限って仲直りもしないまま学校に登校してしまう

そして結果的に訃報で親の死を知る

・・・このようなエピソードが冒頭にあるのですが

 

これを読んで幼いながらに衝撃を受けた記憶

いまでも鮮烈に覚えています

別れはいつどこであるかわからないのだと

だから今この瞬間を大事にしないといけないんだと

 

それからは、何より大事な家族とは

喧嘩してもその日のうちに謝るということだけは

心に刻むようになりました

いまもこれだけは守っています

 

 

 

ふたつめは私が26歳のときに父を亡くしたこと

死は心の中で受け入れているつもりでしたが

意識昏睡となり危篤状態にあった父が

病院にかけつけた私に向けて

涙を流し、力ないはずの腕をぐぐっと上げました

 

私を呼んでいるようでした

 

このときに魂の存在

精神的な絆の意味を感じました

体は無くなっても独りではない、

絶対に独りにしないと強く強く思いました

 

それからは

父から譲り受けた自分の顔立ち・性格(本当によく似ています)

血のつながりを意識するようになり

 

幼少期から教えてもらった遊びや知恵

性質的に似ている考え方や譲り受けた才も含めて

より善いものにして大切な人に還元したい

わが子へいい形で渡していけるようになりたいと

そう思うようになりました

 

 

 

だから

顔の相や手の相が自分を映す鏡なのであれば

きちんと生きられているだろうか?

大事に育めているだろうか?

と確かめるような思いで見つめたくなります

 

ついつい悲観的になってしまったり

過去の過ちを思い出してしまったりして心苦しくなるのは

私の良くない癖ですが

 

せめてひとつでも前に進んで磨き上げて

形として還元できれば、と

 

 

そのためには日々を大切に

毎日の習慣を大切に

 

 

 

時間・自分・家族・友人・大切なものを労わって

できることを積み重ねる

それがいま私のやるべきこと

 

 

 

なんだかとりとめなくペシミズム満載になってしまいましたが

読んでくださってありがとう

 

 

今日もあなたにとっていい一日となりますように。